• 青果

エコ・バナナ(バランゴン)

人から人へ、手から手へと思いをつなぐ民衆交易の産直バナナ

甘みのなかに広がるほんのりした酸味、コクのあるおいしさ。民衆交易という新しい形をとり、試行錯誤を重ねながらその輪を広げつつある『エコ・バナナ(バランゴン)』(以下、バランゴンバナナ)の現地の様子を、輸入元である(株)オルター・トレード・ジャパン(以下ATJ)のスタッフに伺いました。

『エコ・バナナ(バランゴン)』について詳しく知ろう!

生産者には自立支援を、組合員には安心の味を

収穫を待つバナナ
撮影/山本宗補

 バランゴンバナナのふるさとフィリピン・ネグロス島は、もともと「砂糖の島」として知られたところ。ところが1980年以降、世界的な価格暴落で砂糖産業は壊滅状態に。飢えに苦しむ子どもたちを救おうと、日本のNGOグループは募金を行い、資金や食料を送りました。しかし、NGOスタッフは疑問をもちます。「このまま寄付を送るだけでいいのだろうか。ネグロス島の人々に自分たちで生産する力をつけてもらい、それを公正な貿易活動で支えることはできないだろうか」と。

 援助から経済活動へと形を変えた民衆交易は、こうした思いから始まり、新たな交易品としてバランゴンバナナが選ばれました。バランゴンはネグロス島の山に自生する、農薬や化学肥料に頼らず育てられたバナナで、現地の人々の食料を奪うこともない(現地では別の品種が好まれている)からです。

 当時、農薬漬けのプランテーションバナナが問題になっていた日本では、現在のパルシステムなど多くの生協がこの運動に賛同。 ネグロス島の人々の自立支援と安心して食べられるバナナを求める生協活動の出会いを経て、1989年のテスト輸入ののち、本格的な民衆交易が 始まりました。

多くの困難を乗り越えて「やっていける」と確信

 「最初、日本にバナナを分けてほしいという話をすると、現地の人はすごく驚いていました。地主と労働者との経済格差は大きく、首都マニラにも行ったことのない『日本ってどこ?』という人々ばかりでしたから。山からバナナを運び出す方法を絵で説明していくなかで、『自分たちには何もできない』と思っていた彼らにも、人として認められているという思いが少しずつ芽生えてきたようです」と、ATJフィリピン事務所代表・幕田恵美子さんは当時を振り返ります。

 民衆交易バナナは、“つまずき”から始まりました。刈り取り時期が判断できなかったため、 輸入第1便のバナナは傷んで真っ黒に。やっと軌道に乗り始めた頃には、大型台風でバナナが全滅してしまいます。 さらに、ゲリラによる襲撃事件や連作障害など、困難は続きました。「何度も失敗し、もうだめだと思いました。それで も、日本では『もう一度買うから』と言ってくれたんです。そうするうち、生産者の『自分たちにもできるんだ』という思 いが伝わってきて、これでやっていけると確信しました」と幕田さん。

品質改善や安定供給のための新しい取り組みも

 民衆交易が始まって26年。今では、民衆交易に参加したいという生産者からの申し出などもあり、バランゴンバナナの産地はネグロス島からルソン、パナイ、ボホール、ミンダナオ各島に広がっています。

 品質改善の熟度管理や栽培管理も進み、改良バナナやニューバナナも生まれました。改良バナナとは、収穫時の目安がわかるように、ある程度バナナが生長したらタグを付けたり、傷や虫害からバナナを守るため、袋がけをしたもの。ニューバナナとは、肥料や水を与え、脇芽を調整するなど、必要な手入れをしたものです。新しい産地であるミンダナオ島のツピでは、バナナ栽培の基本をプランテーションに学び、それを農薬を使わない方法に改良・工夫しながら栽培しています。

 しかし、もともとバランゴンバナナは自生していたもの。生産者のなかには「なぜ、タグを付けたり、袋がけをしなければいけないのか」 という声もあったそうです。幕田さんたちは「商品作物には手入れをすることも必要」と根気よく説明し、手入れすればしただけの実績が上がると いうことを理解してもらったといいます。集荷所でバナナをトラックに載せるときも、以前は直積みにしていましたが、軸をひと房ずつ新聞紙 で包み、コンテナに入れて傷みを防ぐ改善策も取られるようになりました。

共同資金のための貯金や産地同士の交流も始まった

 民衆交易が広がるにつれ、生産者たちの意識にも少しずつ変化が生まれてきました。生産者の多くは「子どもたちには、自分たちのように貧しい生活はさせたくない」と、バナナの収入を子どもの教育費用に充てています。ネグロス島の生産者は昨年から、地域の共同資金にするための天引き貯金も始めました。たとえ少しずつのお金でも、地域全体の生活や未来への暮らしに目を向けるゆと りが生まれてきたのです。

 さらに、フィリピンの生産者同士の交流会も始まるなど、バランゴンバナナの民衆交易は個人から地域へ、島を越えた交流へと、大きな広がりを見せています。

 また、パルシステムでは、2005年10月に海外では2番目となる公開確認会(※)をネグロス島で開催。毎年3月にはネグロス視察 交流研修も行い、産地の現状を知るとともに生産者との交流を深めています。

※公開確認会
農産物の栽培や生産内容を、組合員と生産者がともに確認するパルシステム独自のしくみ。

多くの人々が支えていることを実感して味わいたい

 「生産者たちは豊かさを、組合員は安心して食べられるバナナを手にする。その橋渡しをするのがバランゴンバナナです」と話すのは、ATJ事業部商品課の綿貫涼子さん。「バナナが手元に届くまでには、育てる人、集荷する人、箱詰めする人、日本での流通を担う人など、多くの人がかかわっています。その人たち全員が、バランゴンバナナを支えているということを実感して食べていただけると、 うれしいですね」。

 フィリピンから日本へ、多くの人々の手から手へ、海を越えて思いをつなぐバランゴンバナナ。豊かさのなかで、見た目の良さや価格だけで食べ物を選んでしまいがちな現代にあって、バランゴンバナナはおいしさと安心と、そして何より食べ物の本当の価値とは何かを教えてくれる貴重な存在ではないでしょうか。

 皆さんも、ぜひ味わってみて下さい。そのまま食べるのはもちろん、甘みがあるので、牛乳と一緒にシェイクにしてもおいしいですよ。

パルシステム神奈川ゆめコープ おすすめ商品

栽培上の化学合成農薬は使用しません。

『エコ・バナナ(バランゴン)』

※本ページは2007年6月に公開し、2015年11月一部更新しました。
商品の規格変更などにより、最新の商品情報とは異なる場合があります。あらかじめご了承ください。