「2026ヒロシマ親子平和スタディツアー」を実施しました
8月5日から7日の3日間、核兵器廃絶と平和の大切さをともに学び考えることを目的とした、神奈川県生活協同組合連合会と神奈川県内の5生協(ユーコープ・生活クラブ生協・やまゆり生協・富士フィルム生協・パルシステム神奈川)が協力して運営を行うスタディツアーを実施し、13組26名の親子が参加しました(パルシステム神奈川からは組合員親子6組、理事1名、職員1名が参加)。
「ピースアクションinヒロシマ 虹のひろば」で見た平和の継承
広島生協連・長崎生協連と日本生協連は、被爆体験の継承や核兵器のない世界への思いを共有する場として、ピースアクションinヒロシマ・ナガサキを1978年から毎年開催しています。
1日目は広島県立総合体育館で行われた「虹のひろば」に参加しました。
テーマ『被爆81年「戦争も核兵器もない平和な世界」の実現を!!~受け継ごう・未来につなげようヒロシマの心を~』に沿って、ステージでの公演やさまざまな団体による展示が行われました。
今年は「星は見ている~原爆でわが子を亡くした父母らの手記より~」を、UNDP親善大使として27年活動された俳優の紺野美沙子氏が朗読しました。子どもに先立たれる親の悲しみは世界共通という紺野氏のメッセージとともに、平和を訴える母親の手記をとおして、かけがえのない日常の尊さが訴えられました。
ステージではほかにもダンスや書道による学生のパフォーマンス、歌の合唱が行われました。
ほかにも基町高校創造表現コースの生徒が描いた被爆証言の絵、原爆投下前後のVR体験など、さまざまな形での平和の継承に触れることができました。

書道パフォーマンスで書かれた全人類の誓いと祈り
平和記念式典参加や碑巡りをとおして平和を考える
2日目の朝は、平和記念式典に参加しました。過去最多となる121カ国・地域の代表者が参列し、約5万人の平和を願う人々が集まりました。原爆投下時刻の8時15分に平和の鐘が鳴らされ、黙とうが行われました。
広島市長松井氏からは「核兵器廃絶という理想を理想で終わらせない国際社会を創るための行動を起こす必要がある」という力強い訴えがありました。
また国連事務総長アントニオ・グテーレス氏のあいさつでは、「平和とは恐怖と力によって得られるものではなく、信頼によって築かれるもの」というメッセージが伝えられました。
式典参加後は、平和記念公園周辺にある多くの碑を見学しました。
本川小学校では残留児童400名が犠牲となったなかで、たったひとり生き残った児童がいました。
袋町小学校では焼け残った西校舎が被災者の救護所となり、壁面に刻まれた当時の伝言の展示がありました。
旧日本銀行広島支店の展示室では、広島県は10万人以上を海外に送り出した全国一の移民送出県だったということがわかりました。
昼食後、平和記念公園に向かい、「折り鶴ボランティア」で組合員のみなさんに折っていただいた折り鶴をまとめた千羽鶴を原爆の子の像に献納しました。
その後、ボランティアガイドの方といっしょに公園内の碑巡りを行いました。平和記念公園では水を求めた人々のためにたくさんの水が流れています。追悼平和祈念館の壁面は、爆心地から見た被爆後の街並みを原爆犠牲者の数と等しい約14万のタイルでつくられていることが印象的でした。

折り鶴を献納しました

ボランティアガイドの方と碑巡り
平和記念資料館を見学し、3日間の想いを共有
3日目は平和記念資料館を見学しました。
本館は被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真、資料が約500点展示されています。東館では連合国側の視点、核兵器の危険性、広島復興のあゆみを学ぶことができます。静かな空間で、来館者は被爆者の遺品と真剣に向き合っていました。展示内容から当時の痛ましい状況が目に浮かぶようで、涙ぐむ人もいました。
本館から東館への連絡通路からは、青空の下で広がる現在の平和記念公園が見え、平和な今の日常の尊さを感じました。
また企画展では被爆した東南アジアの留学生についての展示がされており、原爆で犠牲となったのは日本人だけではないこともわかりました。

「8時15分」を表すモニュメント

被爆者の記憶を伝え続ける原爆ドーム
スタディツアーの最後に総括として、参加者のお子さん、保護者同士でグループ交流会を行い、ひとりひとりが広島で印象に残ったことや自分の想いを共有しました。
三日間の行動をとおして参加者同士の距離も縮まり、平和への想いが強まるツアーとなりました。
パルシステム神奈川はこれからも生活協同組合として平和の大切さについて、多世代へ伝え共有する活動をすすめます。
ヒロシマ親子平和スタディツアーついてのお問い合わせは、新横浜本部 組織運営課(mail : palkana-heiwa@pal.or.jp)宛てにお願いいたします。
