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2019/04/12
イベントレポート

第36回「沖縄戦跡・基地めぐり」スタディツアーに参加しました

3月27日~29日の3日間、「沖縄を知ろう、そして平和を考つなげよう」をテーマに、第36回 「沖縄戦跡・基地めぐり」スタディツアー(主催:日本生協連合会、沖縄県生協連合会)が開催され、全国から33生協、合計220名が参加しました。当組合からは、11名の組合員と職員が参加しました。

毎年900万人以上の観光客が訪れる“美ら(ちゅら)海”の島、沖縄=琉球。独特の文化と歴史、そして多様な生態系をもつ70以上の小さな美しい島々からなるこの地域は、一方で、太平洋戦争の末期には20万人といわれる犠牲者を出した、悲惨な沖縄戦を経験しています。
そして、現在も日本にある米軍専用施設の70%が沖縄に集中し、市街地に位置する普天間基地は“世界一危険な基地”と評される現実があります。

「沖縄戦跡・基地めぐり」スタディツアーは、沖縄の文化と自然の魅力を感じつつも、戦争の悲惨さと、現在も沖縄の市民生活に大きな影響を及ぼしつづけている米軍基地の問題を考えさせられます。

市街地に位置する普天間基地

来月、5月18日(土)当組合の新横浜本部にて、第36回 沖縄戦跡・基地めぐりの映像報告と、「琉球新報社 島洋子さんが語る沖縄の現実」講演会を行いますので、ご関心のある方はぜひ、ご来場ください。

お申し込み等詳しくはこちらから⇒琉球新報・島洋子さんが語る沖縄の「現実」

沖縄戦は、本土上陸を遅らせる時間稼ぎの戦闘

那覇空港からホテル会場へ到着すると、おとなと子どもに別れた分散会となり、その後、現地スタッフ含め200名以上が参加する全体会が行われました。

子どもの分散会では、「みんなにとって平和な世界はどんな世界?」「そのために大切にすること」について考えました。全国大学生協Peace Now! Okinawa実行委員会の琉球大学の学生委員によるファシリテーターのもと、子どもたちの活発な話し合いが行われました。

おとなの分散会では、講師の瀬戸 隆博さんから、沖縄の歴史・沖縄戦・沖縄の基地について、お話ししていただきました。沖縄は琉球というひとつの独立した王国であったこと、その王国をめぐるさまざまな国による占領の歴史から、日本の領土時代の戦場となった歴史まで学びました。特に沖縄戦では、本土決戦を防ぐための時間稼ぎであったこと、1944年頃から始まった疎開は沖縄の住民を守るのではなく軍隊を守るための措置であったことなど、大本営発表では正しいことを知らされず多くの住民が犠牲になっていきました。そして戦後74年を経過しようとする今でも、全国の米軍専用施設面積の約70.6%が集中している軍事基地がある沖縄の現状について解説いただきました。

参加者全員での全体会では、実際に学童疎開船「対馬丸」に乗船していた平良啓子(たいらけいこ)さんご自身の体験談をうかがいました。
平良さんは当時国民学校4年生(9歳)。対馬丸に乗船し九州へ向かっていました。途中米軍の潜水艦の魚雷に攻撃されて対馬丸は沈没。学童775名を含む1418名が亡くなりました。平良さんは6日間漂流し奄美大島の無人島に流れ着き、なんとか一命をとりとめたという壮絶な体験でした。

自身の体験を語る平良啓子(たいらけいこ)さん

平和の大切さを訴え続けることが、亡くなった学友・教師への鎮魂

2日目以降は、「知ることから始めようコース」と「戦争体験を未来につなげようコース」に分かれて、沖縄のガイドさんによるご説明とともに戦跡や基地をめぐり、参加者は熱心に耳を傾けました。

「知ることから始めようコース」では、嘉数高台、辺野古、道の駅かでな、平和資料館、糸数壕などをめぐりました。
日本軍司令部がおかれた首里を追われ敗走状態のなかとくに激しい攻撃を受けた本島南部からたどりました。「糸数アブチラガマ」では、沖縄本島南部の南城市玉城字糸数にある自然洞窟。もともとは糸数集落の避難指定壕でしたが、日本軍の陣地壕や倉庫として使用され、戦場が南下するにつれて南風原陸軍病院の分室となりました。軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、全長270mのガマ内は600人以上の負傷兵で埋め尽くされました。1945年の5月末、米軍の進攻により、第32軍司令部は首里から沖縄本島最南部に撤退し、6月23日に司令官・牛島満が壕内で自決したことにより 組織的な戦闘は終了しました。「各部隊は各局地における上級者の指揮のもと最後まで敢闘するように」との6月19日の命令により日本軍の抵抗は続き、残された多くの日本兵や住民が犠牲となりました。

「戦争体験を未来につなげようコース」では、ひめゆり資料館、魂魄(こんぱく)の塔、南風原文化センター、首里城などをめぐりました。
沖縄陸軍病院南風原壕群(20号壕)では、15~19歳の女子学生からなるひめゆり学徒隊が動員され、壕内での重症患者の看護や衛生作業、米軍の砲弾をよけながら食料運搬をするなど過酷な実態をうかがうことができます。「魂魄の塔」は、沖縄県で最初に建立された慰霊碑であり、沖縄戦で犠牲になった3万5千人の犠牲者が、住民、軍人、敵味方の区別なくまつられています。

ひめゆりの塔(沖縄戦の翌年1946年建立)とひめゆり平和祈念資料館(1989年建立)では、多くの証言録や証言映像が集められています。一人ひとりの体験した戦争の恐ろしさを語り継いでいくこと、平和であることの大切さを訴え続けることが、亡くなった学友・教師の鎮魂となるとの同窓生たちの想いから設立されました。

「ひめゆりの塔」の前で説明を聞きました

「魂魄の塔」に献花しました

沖縄の過去と現在の苦しみが同居する―普天間基地・嘉数高台(かかずたかだい)

すべてのコースで必ず訪れるのは、沖縄の現状を知るうえでも重要な本島中部の宜野湾市にある嘉数高台公園です。ここは、司令部がある首里を守るために長く激しい死闘が繰り広げられた場所です。日米両国の兵士だけでなく集落での犠牲も多く、半数近くの住民が亡くなったといわれています。コンクリート製のトーチカに残った生々しい傷は、銃撃の激しさを物語っていました。

公園内に建てられた京都の塔や嘉数の塔といった慰霊碑もめぐりながら、ガイドさんは「罪を憎んで、人を憎まず」と話し、「戦争が始まる直前の日本には戻ってほしくない、基地があればどうしても戦争で狙われてしまう」「基地は人を守ってくれない」といった、平和を願うならばあたりまえと言えることを強く訴えていました。

公園の展望台からは、オスプレイ機を複数配備した普天間基地が望めます。ガイドさんのお話をさえぎるように、オスプレイ1機が展望台めがけてまっすぐに近づき、爆音とともに飛び去っていきました。こうした現状を直接目にし、直接沖縄の方の苦しみを聞きながら平和を願わずにはいられません。

オスプレイ機を複数配備した普天間基地

辺野古 新基地建設予定地付近

辺野古周辺の海は、国の天然記念物に指定されているジュゴンが生息しているなど、生物多様性が非常に高く、世界的も希少な自然環境の地域にあたります。そして、高江のある“やんばるの森”はヤンバルクイナなど希少生物の宝庫で、世界で唯一の湿潤な熱帯照葉樹林を棲み処として生息している動植物が数多くいます。こうした自然が損なわれ、住民が避難を余儀なくされるということが、反対運動の大きな理由のひとつです。

しかし、根本的な課題は、沖縄への基地負担がいっこうに軽減されないことへの不満です。基地負担を軽減するはずの普天間基地の移設先が、同じ沖縄県内への移設にすぎないこと、それどころか、さらに基地機能が拡充されることに対する大きな落胆。沖縄の新聞では連日、米軍基地に関連する情報が掲載されていますが、こうした報道の差も沖縄と神奈川の温度差を作り出しています。

辺野古の埋め立ての様子を見ました

 

【参加者からのアンケートより】

  • 自分の目・身で確かめることが大事で、マスコミ・政府のいうことはまず疑うように心がけます。沖縄の基地・辺野古についての報道は、今回知った史実に触れているか否かを基準にしてそのメディアを判断したいです。
  • 洞窟の中で実際におきていた事を初めて聞き、びっくりしました。沖縄戦とその実態、ガマの遺物の収集をされた講師の話は驚きばかりでした。
  • 学生時代には習い、おとなになってからはそれなりに沖縄のニュースを見てきたつもりでしたがまだまだ足りなかった、知らなかった、知らされていなかったと感じました。これからは、正しい情報をどのようにして手に入れられるのか、考えながら、選別しながらニュースなどを見ていきたいと思います。
  • ツアー前、私には将来の夢というものがありませんでした。しかし、今回のツアーをとおして、具体的ではないけれど、少しなりたいものが見えてきました。私は、海を越え、国境を越えて、世界平和に貢献していきたいと今は考えています。
  • 「沖縄だけのことではない、日本全体のことだ」と自ら思えるようになりました。横田基地にオスプレイが来たニュースを見たとき、自分が変わったと思いました。政治、経済、国際に対するアンテナが私のなかでできたような気がします。日常に追われてもアンテナの感度を維持したいと思います。